☆仕事の予定をなんとかするべく、一日手を尽くしたが、翌13日土曜日の日直の代わりが見つからず、出発は夕方5時過ぎ。残念ながら、通夜には間に合わず、戦い抜いた彼の最期の勇姿に対面することはできなかった。

☆土曜日の夕方5時15分。庁舎からほど近いICに入り、上田のカツホリ氏を拾って、一路成田へ。車中では、ひたすらがんちゃんの話ばかり。話題は尽きない。

☆成田のホテルに着いたのは9時30分を回っていた。フロントでたずねると、「林様を偲ぶ会は・・・10時30分までの予定です」とのことで、途中から参加することができた。ホテルの一室にはよく知る顔がたくさん。そんな中に、ひとつだけ誰も座っていないイスがあった。そこにはがんちゃんが顔をしわくちゃにしておどけて微笑む写真が大伸ばしにして置かれていた。地元の芸山くん(芸名)が、「ここ、はやしさんの席なんですよ。乾杯しましょうよ」と、声をかけてくれた。ここで・・・・・
こうした集まりの時に、誰よりも先に「どこにいるかなぁ」って居場所を探していたがんちゃんの姿が、ここにいないという現実に直面して、オレの顔から笑顔がひいていった。

☆会場では、ナナコ社長と、「広報たこ」を印刷してきた印刷会社のSさんが寝る間を惜しんで仕上げた「がんちゃん通信aC4」が配られていて、これまで、いい状態で伝えたいとがんちゃんが思っていただろう病状の、希望とは裏腹の悪化が、初めて記されていた。

☆「みんな、健康診断しっかりやろう、ねっ!」
親しい面々に再会して、まずこの言葉が口をついてでる。こんな理由でこの仲間たちと会いたくない。会場の端で、社長とママが疲れたような表情でポツポツとなにか話している。思いのほか賑やかな話の輪を離れて、社長の横に座ると「今日、会ってきました。痩せてひとまわり小さくなってたけど、きれいな顔してた。」とオレに話した。
広報Personのなかでは誰よりも彼に近い位置にいて、常に彼の病状と向き合ってきたななこ社長は、直面している現実に的確に対処しながらも、どこか心の一部がその現実に追いついていないという感じのちぐはぐな表情を時折見せた。

☆2002年の千葉での裏ツアー2日目に、房総の旅を選択してがんちゃんのチェロキーに乗り合わせたのは、その後親しくお付き合いしてもらっているやまだっち@滋賀県栗東市OB。伝説の京都「酒池肉林の会」が一番心に残る思い出と語る彼と、しばし昔話。自分の記憶には残っていなかった当時の出来事が、やまだっちの話で懐かしく思い出される。

☆「Hang in there!」というがんちゃんの応援ソングを作ってテープを送ったのが亡くなる2週間ほど前。さらに半月ほど前にアコギ1本で歌った一発録りMDも送っていたが、がんちゃんは聴いてくれたのだろうか?当日長崎市Yさんに聴いてもらおうと持ってきたデモテープを、社長が会場で流すように勧めてくれた。会場のカセットデッキのピッチが低く、幾分ノリの悪い曲調になってしまったが、みんな最後まで聴いてくれた。広報協会Mさんから、CDにして広報ワールドで販売、売上金を残された家族に送ることが提案された。会場のみんなが拍手で同意。もちろん、オレに異存のあるはずもない。

☆「偲ぶ会」はまもなく終了となったが、会場に集まった面々はなかなか部屋へ戻ろうとせず、会場出口で立ち話が始まった。「みんな、本当にさみしいんだな」と、その様子を見て思った。部屋で独りになるにはつらすぎる夜だった。勝美くんの部屋へ数人が集まることを確認し部屋からグラスをもって戻る。個人個人が、それぞれの心に残るがんちゃんの思い出を話す。そのたびに胸が詰まった。







☆朝、シャワーから出るとすぐ電話が来た。「昨日お別れできなかったでしょ?家族に頼んだから行ってきなさい」。社長の配慮で急遽先発することにし、カツホリ氏とともに八日市場市のメモリアルホールに向かった。



     



☆山桑メモリアルホールに到着したのは9時40分。駐車場に車を止めて会場へ急いだが、10分間に合わなかった。火葬炉の前には、最期のつらいお別れを強いられて涙を流す奥さんの姿。在りし日のがんちゃんに会うことはもうできないのだなと、火葬中の炉の前に置かれた遺影を見て実感した。会えなかったことはいい。オレもそのつもりで来たのだし、通夜に行った仲間たちの様子をみていたら、闘病で疲れきった彼の姿を見るのは忍びない気がした。

☆約80分かかる火葬のあいだ、葬儀会場をふらふらと歩き回った。会場の入口には、生前の彼の写真がたくさん飾られ、パソコンの画面には家族とともに微笑むがんちゃんが次つぎに現れた。勝美くんがホールに飾られた遺影を見つけてつぶやく「あっ、昨日のと違う。ななこ社長が伸ばしてきたやつが使われてる!」。「偲ぶ会」の会場に居たがんちゃんの写真が遺影になっていた。それはこの写真。昨年の甲信ジャンボリーに社長に内緒でやってきたがんちゃんが、軽井沢あたりで見せたイイ笑顔の写真。





             





☆このとき、彼の体は内臓の各所に転移の徴候が見られる危機的な末期の胃がんに蝕まれていた。TS-1で回復に向かっているとばかり思っていたマヌケなオレたちとの時間を、こんな笑顔で過ごしながらも残された自分の時間をひとり意識していたであろうがんちゃんが、このときどんな気持ちでいただろうかと考えると、胸が苦しくなる。








☆細く残っていたかに見えたオレとガンちゃんをつなぐ糸は、ここにたどり着いた時点で無残にも途切れてしまっていたかに見えた。しかし、その40分後、オレはご家族と一緒に彼の遺骨の前にいた。



 若くして亡くなった人の特徴が彼の骨も見られた。闘病生活1年であっけなく逝ってしまった人の骨は白くてしっかりしていて、たくさん残る。時間をかけてたくさんの骨を箸で拾って骨壷に納めながら、ガンちゃんの肉体がこの世から消えたことをなんとなく理解した。



 ホールの係員が最後の粉状のガンちゃんだった骨を骨壷に移したとき、彼の骨の粉が舞い上がり、オレの鼻から体内へと入ってきた。このとき「ガンちゃんがオレの体に宿った」という、不思議と誇らしい感覚がオレの心を満たした。






 


                 
☆2004年3月12日早朝、微妙な時間に社長からの電話。電話を服のポケットに入れたままにしていたため出ることができなかった。
「ヤバイな」と思い、すぐさまコールバックすると乾いた声が「ハヤシサン、ナクナリマシタ」とオレに言った。寒い場所から電話しているような、冷たい空気を電話の向こうに感じた。その声は、震えているようだった。
☆しばし動けず、今しがた聞いたはずの葬儀の日程が頭に残っていないことに気付いたのは、それから5分ほど経ってからだ。



   がんちゃんが
星になった3月12日